地盤を確かめる様に、用心深げに幾つかの音がつまびかれ、インプロビゼーション<即興演奏>は始まる。この録音が、奏者達が一同に会し共に演奏する初めての機会であったということ、あらかじめ設定された 曲の構成も編曲もなく進められたということが信じられないくらいに、演奏は確実な方向性を示唆しなが ら進んでいく。インプロビゼーションという表現をすると、調性の要素の少ないフリージャズ的なものを 思い浮かべる人も多いかもしれない。だがこのアルバムは馴染みやすく聞き覚えのあるメロディに溢れて いる。ひとつのメロディが別のメロディを追いかけ、手招きをし、物語を伝え、質問を投げかけ、詩を詠 み、踊る。この音楽は、フリージャズの持つ勢いや予測のつかなさを兼ね備えながらも、例えばレニー・トリスターノやリー・コニッツの表現したクールな世界観をもう一度現代の音で私達に聞かせてくれる音 楽だ。
渓流の様に淡々と流れていくメロディの美しさとそのミニマルな音の選択に耳を委ねる。決して、重たくもつまらなくもならない。スタンダード曲の演奏の様に音の着地点をそこかしこに見つけることが できるような耳触りではないのだけれど、不思議にすべての音には確固とした役割があり、それぞれのパ ーツが有機的に展開していく。混沌という選択肢を用いずに、この音楽はあくまでもクールな趣きで、聴
き手にとってたまらないスリルを与えてくれる。深く聞くほどに、ジミー・ジュフリー・トリオ(ポール・ブレイ、スティーブ・スワロウ)のサウンドが思い起こされる。ジュフリーのトリオはより叙情的でポ エティックなのだけれど、メロディにまたメロディが重なりストーリーが展開していくという形には、こ の歴史的なトリオの面影を見ることができる。60年代にジュフリーらにより提示され、今ではジャズ・シーンにおいての最も重要な一片と化したとも言える「フリー・インプロビゼーション」のさまざまな新 しい形を通過してきた現代の音楽家達によって、もう一度、クール派の残した音楽の断片が鮮やかに紐解
かれる。
ノルウェーの気鋭ピアニスト、作曲家、シェティル・イェルウ ゙ェ。80 年代にソニー・スティットやクリ フォード・ジョーダンなど多数と共演し、近年はティム・バーンやトム・レイニーらと共にニューヨーク のシーンを牽引してきたベーシスト、ドリュー・グレス。そしてレニー・トリスターノの最後の弟子とも 言われ、ウォーン・マーシュ、サル・モスカらとの共演歴を持つテナー奏者、ジミー・ハルペリン。録音 の中で強い存在感を放っているにもかかわらず名前の非公表を希望する正体不明のドラマー。この四人が、 共にまったくの白紙から即興演奏を繰り広げたのが、ニューヨーク・インプロビゼーションズ(2015 年 録音)だ。このアルバムは、イェルウ ゙ェとその同志、ベーシスト、アーレンド・アルベルトセンによっ て立ち上げられたばかりのレーベル、“Dugnad Rec” (www.dugnadrec.com) によるプレミア・リリースとなる。
文:蓮見令麻
き手にとってたまらないスリルを与えてくれる。深く聞くほどに、ジミー・ジュフリー・トリオ(ポール・ブレイ、スティーブ・スワロウ)のサウンドが思い起こされる。ジュフリーのトリオはより叙情的でポ エティックなのだけれど、メロディにまたメロディが重なりストーリーが展開していくという形には、こ の歴史的なトリオの面影を見ることができる。60年代にジュフリーらにより提示され、今ではジャズ・シーンにおいての最も重要な一片と化したとも言える「フリー・インプロビゼーション」のさまざまな新 しい形を通過してきた現代の音楽家達によって、もう一度、クール派の残した音楽の断片が鮮やかに紐解
かれる。
ノルウェーの気鋭ピアニスト、作曲家、シェティル・イェルウ ゙ェ。80 年代にソニー・スティットやクリ フォード・ジョーダンなど多数と共演し、近年はティム・バーンやトム・レイニーらと共にニューヨーク のシーンを牽引してきたベーシスト、ドリュー・グレス。そしてレニー・トリスターノの最後の弟子とも 言われ、ウォーン・マーシュ、サル・モスカらとの共演歴を持つテナー奏者、ジミー・ハルペリン。録音 の中で強い存在感を放っているにもかかわらず名前の非公表を希望する正体不明のドラマー。この四人が、 共にまったくの白紙から即興演奏を繰り広げたのが、ニューヨーク・インプロビゼーションズ(2015 年 録音)だ。このアルバムは、イェルウ ゙ェとその同志、ベーシスト、アーレンド・アルベルトセンによっ て立ち上げられたばかりのレーベル、“Dugnad Rec” (www.dugnadrec.com) によるプレミア・リリースとなる。
文:蓮見令麻